2009/03/28
一昨日の「東洋大学不正告発」記事、東洋大学塚本理事長辞任を示唆≠ナは、塚本正進理事長が京橋三丁目物件事件の引責辞任をし、その後釜として、早稲田大学元副総長・関昭太郎氏を東洋大学理事長に迎える事になったもよう、と報じた。
しかし事態は二転三転し、最終的な「東洋大学理事長」が昨日の理事会で決定したそうだ。
新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年(平成16年)10月23日(土)17時56分に新潟県中越地方を震源として発生したマグニチュード6.8(北魚沼郡川口町では最大震度の7)、震源の深さ13kmの直下型の巨大地震だった。ユーラシアプレートと北米プレート間で起こった逆断層地震であった。
長島忠美(ながしまただよし)氏は、この震災による被災地として有名になってしまった新潟県山古志村(現長岡市)出身の政治家である。新潟県立長岡高等学校、東洋大学経済学部を卒業した。山古志村議会議員を得て、山古志村村長を2000年 - 2005年の間、務めた。
長島氏が一躍有名になったのは、山古志村村長だった2004年に中越大震災が起った時だった。中越地震の際に髭を生やしたまま防災服姿で飛び回る長島氏の姿がテレビ視聴者の間で話題となった。住民避難および復興の陣頭指揮にあたり、長岡市内の仮設住宅に一番最後まで残って仕事したその勇敢な姿に心打たれる人が多かった。
東洋大学OBとして、「東洋大学を箱根駅伝で優勝させる会」の会長も務めている。東洋大学陸上部が夏季合宿を山古志村で行ったり、震災後には延べ約4000人の東洋大学の学生が倒壊家屋の片づけや仮設住宅での被災者支援などのボランティアを行ったりし、東洋大と山古志村の親密さは深い。
今年の正月に行われた東洋大学が見事優勝した箱根駅伝には、旧山古志村の住民が、応援に駆けつけていた。
そんな元山古志村村長で衆議院議員の長島忠美氏が、塚本理事長退陣後の「新東洋大学理事長」に就任する事となったのだそうだ。
派遣切りや高齢者問題など弱者救済がテーマとされている今の世の中で、震災復興を成し遂げた長島氏を理事長として東洋大学の看板に据えることは、大学のイメージアップとしてかなり有効であろう。
突然の震災にショックを受けた村民を自身で体を張って守り導き、自身の卒業大学の後輩達に復興ボランティアとしてかけがえのない体験をさせ、シナジー効果をもって被災から短期間で山古志村を復興させたアグレッシブな発想とパワーと組織運営力は素晴らしい。
これから、東洋大学も新年度に入り新入生が新しい風と共に入学してくる。長島忠美・新理事長にはその経営手腕で、ぜひ、不正の臭いのする現組織を解体して頂き、よりよい東洋大学、新しい東洋大学への改革に邁進して欲しい。