(2011/09/08)
国士舘高校、中学の柔道部がまた日本一になった。凄い。
中学、高校が強くなるという事は、やがては大学が強くなることに繋がるわけだから、この功績は大である。中学も高校も大学も全て監督は川野一成高校長の教え子である。ついこないだまで全日本の男子監督(斎藤仁)も女子監督(日陰暢年)も、川野先生の教え子だった。
今回特筆すべきは国士舘と決勝を争った岡山県の作陽高校である。スポーツ校で有名であるが、柔道では一流ではなかった。今、教頭は塩浦六丸君だという。何故、私が君付けで呼ぶかというと、私の一期下の柔道部だったのだ。確か鹿児島のどこかの島出身だと思ったが、熱血漢だった。
スポーツが強い学校というのは、経営陣もしくは執行部にスポーツに理解がある人がいないと強くなれない。作陽高校の活躍の一助に塩浦君が貢献しているのであれば、嬉しいことである。特筆の本論は次である。
実は作陽高校の柔道部監督は川野先生の御長男なのだそうだ。それにしても凄い。沖縄尚学や東海大相模を破って、決勝に勝ち上がり、国士舘高校と1対0で敗れたそうである。次男は確か、国士舘の高校だか中学でコーチをしている。蛙の子は蛙である。いや、鯛の子は鯛と表現すべきだろう。
我々が学生の頃は、高校も大学も決して一流ではなかった。それらを超一流に仕上たのは、間違いなく川野先生の手腕である。柔道だけで言うなら、その後を継いだ岩淵監督を始めとした監督、コーチ陣の指導で伝統は作られてゆくのであるが、中興の祖は間違いなく川野先生なのである。
当時、高校は自前の練習場もなく、大学の道場の隅っこで練習していて、一年であった私は川野先生の遊び相手にされていたのである。40年前の話だ。
その頃から、国士舘高校のレベルは高かったが、講道学舎の塾生が通う世田谷学園には勝てなかった。私は高校のOBではないが、殆ど大学へも行くので一応後輩になる。
この強いチームを作り上げ、その教え子が指導者になって、またその能力を開花させ、実績を積み上げていく。この力量、技量というものを国士館の全スポーツに活かすべきだ、と言っているのだ。
この手腕は柔道だけでなく、全てのスポーツに通ずる筈である。だから私は川野先生をスポーツの底上げのために特別職に就けるべきと学校に訴えているのである。
スポーツを強くするのには、それなりに金もかかる。入学金の一部に「スポーツ振興費」を賛助頂くにしても強いクラブが幾つも育たなかったら、共感は得られない。
先月行われた、高校総体で国士舘高校柔道部(岩淵公一監督)が優勝したことは、実に素晴しい。川野先生には、正式の運動クラブが加盟する公認の会を作って(例えば仮称「体育局」とか)、そこのトップになって貰って、全運動部を見て貰うべきだと思う。
こういう優秀な人を中学、高校の校長だけで終らせるのは勿体無い。一人の金メダリストを育てた人は金メダリスト同等の価値がある。それが何人もいる訳だから、ダイヤモンドメダル表彰でもしたいくらいだ。
と思っている人は多いでしょう。おめでとう、国士舘高校柔道部。
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