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去る10月6日、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルにおいて、国士舘大学出身者のアテネオリンピック出場者の記念祝賀会が行われた。 選手で出場したのは柔道から塘内将彦、内柴正人、鈴木桂冶の各選手、シンクロナイズドスイミングから川嶋奈緒子選手、陸上からは弘山晴美、森千夏選手の6名。 監督として全日本柔道連盟男子ヘッドコーチの斉藤仁氏。サッカー監督の山本昌邦氏。コーチで参加したのは柔道の日蔭暢年氏、レスリングの和田貴広氏と嘉戸洋氏の5名。計11名が2004、アテネオリンピックに国士舘出身者として出場したのである。 このうち柔道の鈴木桂冶選手と内柴正人選手が金メダル、シンクロチームの川嶋奈緒子選手が銀メダルを取る大活躍。 式典は佐伯理事長代理の開会式の辞から始まり小野清子参院議員、伊藤公介衆院議員、文部省スポーツ青少年総括官尾山眞之助氏、レスリング協会会長福田富昭氏と続き、締めはサッカーの川渕キャプテンのユーモアタップリ話で終了。 いよいよ選手紹介。内柴選手を先頭に全員が壇上に上がって一人一人紹介されたが、テレビや週刊誌で何度も見た顔がズラリとならんでいたが、「えッ、この人も国士舘だったの?」と驚くことも300回。実は筆者も、何を隠そう大きな声では言えないが国士舘大学に8年間も在籍した過去があり、秘かに「隠れ国士舘ファン」なのである。 その隠れファンとして真に申し訳ない。あのサッカーの山本監督が国士舘出身であることも、不屈の闘志でオリンピックに3回出場を果たしたマラソンで有名な弘山晴美選手が国士舘出身であるということも今回初めて知った次第です(そうとは知らずに高橋尚子女史ばかり応援してきてすみませんでした)。 筆者は、柔道、剣道、空手、レスリングのことしか知りませんでしたので、ついこないだサッカーの柱谷という人が国士舘出身らしいということを聞いたばかりで…。いかに、日頃生活に追われて、まわりに目を向ける余裕のない生活をしているのかつくづく思い知らされました。 しかし一方で、我が母校が今をときめくサッカーや陸上やシンクロでもオリンピック代表選手を出すような立派な大学に成長していたんですね。素晴らしい。ブラボー。 選手団を控えて誇らしげに御礼の挨拶をするのは大澤英雄学長。大澤学長はサッカー部の監督出身だが、当初武道中心の当大学にあって、始めてボールゲームで国士舘を日本一に導いた人である。 武道中心が故に、それ以外の部では開花するまでの長い道程、厳しい冬の時代があったことも容易に想像がつく。それでも今やJリーグで活躍している教え子は多い。スポーツで頂点を極めて理事長までなる人はたまにいるが、学長というとなかなかいない。正に文武両道を我が身を賭して実践した人と言えるだろう。 | ||||||||||
一成塾の集大成 | ||||||||||
現国士舘中学・高校の校長である川野一成氏に学んだ柔道の教え子達が今日本柔道界を引っ張っている。 全日本柔道連盟男子ヘッドコーチでアテネオリンピック男子柔道監督の斉藤仁氏。アテネオリンピック女子コーチで参加し、この度全日本柔道連盟女子ヘッドコーチに就任した日蔭暢年氏を始め、アテネで金メダルを取った鈴木桂冶選手、内柴正人選手も教え子である。 もっといえば、高校の岩渕監督も大学の山内監督も国士舘高校で川野先生に学び、国士舘大学へ行った人達である。 川野先生自身は福岡県の出身で大学柔道部に学び、国士舘高校の教諭として就職され柔道部の監督に就任された。当時も高校柔道部はあったものの、まだ無名に等しく、中興の祖というより実質的な創部者と言っても過言ではない。 筆者が在学当時は、高校柔道部はまだ練習場は持たず、大学道場を間借りしながらの練習だった。高校柔道界では当時からそれなりではあったが、世田谷高校(講堂学舎)を超えることはできなかった。それが今やスター選手目白押しである。 筆者は大学柔道部の出身であるから川野先生は先輩にあたるが、同じ道場で、同じ時間帯に練習する為、いつも先生の遊び相手に指名され、よく落とされたものである。 余談だが、落とされると一種の仮死状態になるのだが、落ちるまでは非常に苦しいが落ちた後はなんとも気持ちのいい状態になる。よく一度死んだ状態から生き返った人が川の向うに金色に輝く花畑を見た、という話を聞くが、正しくこのような体験である。 川野先生は校長先生になった今でも教え子達に贈られた「一成塾号」というバスに乗って岩渕監督と共に全国に練習試合に出掛けられるのである。 筆者の秘かな素人的勝手論であるが、この際川野先生に大学の理事長をやってもらったら如何なものか。実績といい、実力といい誰も文句は言えまい。今をときめくサッカー界の雄が学長で、アテネオリンピック大躍進の原動力となった柔道界のカリスマが理事長というコンビなら、世間受けもいいだろう。増々少子化が進む中、力のない学校法人は学生を集めることができなくなる。 今後競走が一層激しくなる中で、人脈や知名度は多いに武器になる。このコンビなら一流他大学にも引けを取らないし文部省にも受けは良くなるだろう。 所詮頭じゃ東大に勝てないんだから、せめてスポーツで勝つためには、スポーツでトップを極めた人に学内の教育・経営のトップに立ってもらわないと、競争社会に勝てないのである。大局的に見れば、こんな考えを持っている人は学内に相当いるような気がするのだが、いかがなものだろうか。 最後は応援団から出場選手と会場のみなさんにエールが送られたが、応援団のキビキビした態度が妙に印象的で、渋谷あたりで遊んでいるバカ者に見せてあげたい程雄々しかった。 私が一番嬉しかったのは、会場正面に堂々と日の丸を掲げ、式典を挙行する前に国歌斉唱が行われたことである。しかも学生、教職員を含めた入場者全員が大きな声で君が代を歌ったのである。本来ならごくごく当り前の光景だが、当節なかなかお目にかかれないのが実情である。 さすが国士舘。国士を育てる館として創立された柴田徳次郎先生の教えが87年の時の流れを経て尚、脈々と受け継がれていることに感動致しました。 誠意・勤労・見識・気魄 国護る 三十数年前に学んだ国士舘の教えである。 | ||||||||||
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