(写真左から)アジア地域戦没者慰霊協会・国府正男理事長、本紙社主、日本連合・朝堂院大覚総裁、全国勝手連連合会・光永勇会長、東方青年連合・川津永次会長
 

 「右対左」終焉

 東方青年連盟という政治団体がある。新宿極東の棚本氏が創設した、という経緯から任侠系右翼と見られてきた。その東方青年連盟が大きく様変わりした。
 棚本氏を初め組織関係者が役員から若衆まで一切退任したのである。色が着いていては自由な政治運動ができないという将来を見据えた棚本氏の英断らしい。

 それに輪をかけてユニークな発想を実現したのがアジア地域戦没者慰霊協会国府正男理事長である。何とこの団体の再出発にあたり名誉会長に全国勝手連会長の光永氏を据えたのだ。
 光永氏といえばかつて左翼運動家として活躍し北朝鮮にいるよど号犯達とも連絡できる人物である。但し最近では左翼運動では行き詰まっていることを素直に反省し、積極的に民族派団体の会議等出席しているバリアフリーの数少ない指導者の1人である。国政選挙ともなれば政党も問わず、彼の許へ「勝手連」の名前が欲しくて、足繁く通う先生方も多くいる。
 その光永氏が国府氏の要請で東方青年連盟の名誉会長を受ける事にしたのだ。過去に左翼家が右翼に転向した例は幾つかあったが、転向のないまま右翼団体の名誉会長になるという例はおそらく今までにないだろう。

 その辺の真意を国府氏に聞いてみた。
 国府氏曰く「右対左という構図は完全に崩壊した。国家という概念さえ消えかかっている今日、国を想う気持ちがある人達は一致団結して国難を乗り切るべきである。日本国民として豊かな智恵や知識を持ってる人達はその有能な意見を出し合い、助け協力し合って国民運動をすべきである。右とか左とかの時代は終った」とのことである。
 この人の人脈の広さは半端じゃない。
 兄弟分と言われる人達は全国の親分衆や民族派の大先生のクラスである。懲役も20年近く務めた人である。その言葉の重みには説得力がある。

 光永氏は挨拶の中で「初めての試みでとまどっております。私一人では自信がありませんので、後見人として朝堂院総裁を、顧問に敬天新聞の白倉氏をお願いしたい」との突然の発表であったが、東方青年連盟の新しい船出に期待したい。

 
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