社主の独り言(辛苦口)

(敬天新聞1月号)

▼また新しい一年が始まった。年初には一応、今年の目標や夢を持ってはみるのだが、それが叶わぬままもう還暦も過ぎてしまった。
 それでも毎年一応、目標となる夢は考えてはみるのだ。若い人達は歳を取ると夢を持ってないと勘違いするかも知れないが、年配者もしっかり夢も目標も欲望も持っているのだ。
  ただ若い時と違って経験も多いから年々現実的に成ったり、価値観は代わってくる。しかも先が短くなれば成る程、一年過ぎるのが早くなるという皮肉もあるから益々夢達成は遠くなるのである。

 ということで本年も読者の皆様には健康でお過ごし頂き、社主の独り言をご愛読頂きたくお願い申しあげます。
 それにしても我々が子供の時に教えられてきた風習や文化が変わって来てるけど、これから日本は何処に向かって行くのだろうか。たとえば正月の元旦の日は福が逃げるから掃除をしてはいけない、金が逃げて行くから買い物もしてはいけないと教えられた。
  だから営業する側も元旦は必ず休みで、商いの初荷は二日からと決まっていた。家でも物事の初物は二日からで、朝風呂に入り、子供は書初め、大人は仕事始めという風習だった。それが今は元旦から福袋を売る店などもある。
 最近では大手デパートまで元旦に開店するところも出始めた。

 風習や文化の全てを踏襲すべきだとは言わないが、家族制度や神社を中心とした村文化の繋がりなどは無くなってもらいたくないものである。時代と共に世の中が変わることはいいことなのか、変わらない事がいいことなのか、最近わからなくなったねー。
  日本の将来は活力のある若い人達に任せて、私はひたすら偽善の裏に隠れた悪を暴き出すことに今年も専念することで、御国への貢献を果たしたいと思っています。

▼小沢一郎は剛腕、壊し屋と恐れられてきた。その言葉の裏には破壊力、力強さ、指導力を褒めるものであり、否定的なものより圧倒的に畏敬の念が含まれていたものが多かった。
 壊し屋にしても、他の政治家だったら結局は一人で出て行かざるを得ないか、追い出されたりと消えてなくなるのがオチだった。

 一時は弱い自民党の救世主で総裁候補にまで名が挙がった舛添要一も鳩山弟も自民党を出た途端に存在が薄くなってしまった。
 強いて生き残ったのは亀井静香だったが、部下に裏切られ一人ぼっちになって「減税日本・反TPP・脱原発を実現する会]から「日本未来の党」そして「みどりの風」に拾われた。亀井ほどの実力者であってもあそこまで落ちぶれるのだ。
 それに比べれば小沢一郎の履歴は重厚である。

 あの強かった頃の自民党の幹事長を若くして務め、組織を自由に動かせない限界を感じたら、仲間と部下を引き連れて離党し、政局を作り出す。そして政策、理念に関係なく合併しては権力の要を掌握するのだ。
 名は合併した相手に与え、自身は必ず実を取るというのが小沢一郎の特徴である。

 自民党から独立した時が新生党、それから新進党に合併した時は四番手だった細川護煕を担いだ。思うように成らなくなったら新進党を解党して自由党を作った。とにかくわがままである。
 その後、民主党で合併する時は鳩山のバカを担いで本人はまたもや実を取った。この頃から小沢の化けの皮が剥がれてきた。野党にいる時は綺麗ごとも言えるし、理想論も言えた。その剛腕力もいかにも可能性があるように見えた。

 だが実際与党になってみたら何一つ実現できない。鳩山が馬鹿みたいな迷い事を繰り返してる時も、一番助言できる立場の幹事長でありながら何も助言できなかった。
 そして菅や野田に代わったら「増税の前にやることがあるだろう」とばかり言って「何をやる」とは言えない男だった。それは毅然とした政策を持ってないから「何をやる」と断言できずに「やることがあるだろう」と抽象的にしか言えないのだ。
 やれる立場に居ながら何もできなかった小沢一郎を国民は見抜き始めた。本人だけがまだ気付いてないのだろう。小沢一郎の卑怯さは自分が声をかけて集団を作っておきながら、自分が先頭に立とうとしないことである。

 堂々と「国民の生活が一番」で戦えば良いのに、嘉田知事人気にあやかって、「日本未来の党」の陰にかくれてしまうのと同時に、そこを核にしてまた寄せ集まり集団を作ろうとしたが、もう誰も指に止まってくれなかったのだ。

 その思惑とカラクリを国民は見抜いていたから、「日本未来の党」は惨敗だった。そしたら今度は嘉田女史はもう用済みとばかり、あれだけ選挙前は持ち上げていながら、連絡も取れない状態にして僕議員にクーデターを起こさせるのだ。
 みんなが嘉田女史に「一緒にやらない方がいいよ」と助言していたにも関わらず、乗せられてしまうその口説きの上手さが小沢一郎の武器なのだろうが、国民には通用しなくなってきた。

 嘉田女史も小沢と組みさえしなかったら、卒原発の花として当分輝いて居れたのに、小沢毒に触れたばかりに賞味期限切れした枯れたおばさんになってしまった。もったいない。

 小沢一郎は今や壊し屋というよりノロウイルスのような存在なのである。普通なら今回の惨敗で小沢の政治生命は終ったと見るべきだろうが、小沢ウイルスは海江田民主党の復党を狙っている。大惨敗した民主党も十五人増えるのは勢力拡大に繋がると勘違いする可能性もある。

 小沢一派が復党すれば、党内を僕議員に引っ掻き回させた挙句、野田派、前原派を追い出すことを画策するだろうから、実際は数が減るし、それより夏の参議院選には小沢の復党した民主党は消えてなくなるだろう。
 順風満帆だった小沢の政治家人生に狂いが生じ始めたのは与党中枢に付いた途端、本性だったのか部下と仲間を引き連れて中国、韓国に出向き日本人国会議員と思えぬような言動を取ったこと、重ねて皇室に対しての思い上がった侮辱発言が切っ掛けではなかったか。

 日本人は物言わぬ国民であるが、余りにひどくなると静かな態度で表明する。奥さんからの三行半も間違いなく大打撃である。あれだけの著名人ならたとえ家庭内別居であっても離婚まではしない。
 築き上げた実績と家の名誉が一夜にして崩れてしまうからである。それでも全てを捨てての覚悟の告白である、余程の耐え難い嫌悪があったのではないかと国民は推測する。国民はもう小沢一郎の本質を完全に見切っているのである。

▼三年半前自民党が嫌になって民主党の清潔さ、斬新さ、時代にあったしなやかさに期待して一票を投じたのだが、悉く裏切られた。

 一番の原因は議員一人一人が素人過ぎたことだろう。その上寄せ集まり集団だから民主党としての理念を持たなかったこと。綱領さえなかった。単に自民党に反対、自民党から政権を奪うことがこの国を良くする唯一の方法という言葉の魔法に国民が乗せられたに過ぎなかった。

 二つ目の原因は民主党の議員が小沢一郎を過信しすぎたことだろう。選挙で大勝した事で何でも出来る人と勘違いしてしまったことだ。
 選挙に勝たねば政治家になれないわけだから、選挙に勝てる政治家という意味では尊敬されてもいい。しかし必ずしも選挙に強い政治家がいい政治を行い、国民に支持されるとは限らない。民主党議員はそこが読めなかった。
 小沢一郎という人間は国民の生活や行政のあり方に興味はなかった。あるのは自身の政治権力闘争と中枢の掌握だけである。結局は民主党の三年半は小沢一人にかき回され、党の中のゴタゴタに終始し、一度も国民に向けての政治力を発揮できないままに終ってしまった。

 この民主党政権時代は国の体を成していなかったために、中国や韓国に舐められ、国内の景気は冷え込み、日本の国民が苦労してるのに、外国人にまで生活保護を出したり、国民が拉致されてるのに、その支配下の朝鮮高校にまで無償化しようとしたり、日本国民に何の利益もないのに外国人地方参政権付与法案を通そうとしたりと、これが日本の政権与党かという考えられない政党だった。
 結局内紛で潰れたからよかったものの、このまま続いていたらと思うとぞっとする。

 耳障りのいい綺麗ごとばかりいう奴は注意しなけりゃいけないけど、政党も同じだなー。あのマニフェストもよくもあそこまで嘘を書けたもんだよ。
 反原発も言うのは簡単だけど、実際には今の経済力、電気の事情、社会の発展とか考えた時、現実問題として止められるのか。反原発を宣言したほうが選挙に通る、という考えで反原発を言っているのならとんでもない。
 過去の原発はビジネスが先行し過ぎた感があったのも事実だ。だから電力会社が踏ん反り返っていた。罰則規定を厳しく設け、責任の所在もはっきり決め、国の責任でやるのであれば、やってもいいのではないか。

 私は福島原発事故は直接的な誘発は震災、津波であったろうが、土台建設、配管工事、その後の管理においての手抜きや慢心、驕り等を含めた人災であったと思っている。
 自民党は見直しを宣言しているが、これこそが大事である。言うは易く、行うは難しである。これからも必要な物は作らなければいけないだろうが、政治家の顔や金儲けのための建設なら止めるべきである。自民党よ、三年半の反省を無駄にするな。

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