社主の独り言(辛口)

(敬天新聞3月号)

▼船中八策が勢いを増している。あまりに戦いを避けて通る弱腰外交、気遣いばかりで何も決められない行政、足の引っ張り合いばかりで自分たちの都合しか考えない中央政治。橋下市長に国民の人気が集まりだすと、裏では擦り寄りながら表では「地方政治の立場では荒唐無稽」と強がりを言って見せる。
 確かに参議院はいらないとか首相公選制とかは憲法を改正しないと出来ない項目かもしれない。しかし国民はその通りだと思っている。今の参議院は全く役目を果たしていない。というより存在意義がない、と殆どの国民が思っている。にも拘らず当の参議院議員はその自覚がない。六年間歳費が貰える、単に就職したぐらいの感覚なのである。

 自民党の終わりの頃から民主党に政権が変わってからも自分たちの政局ばかり考え、国民の為、日本の為、という強いリーダーシップを発揮できない。そんな能力のない総理を自分たちの都合だけで選んでいる三流国会議員にはこの国は任せられないということで、首相公選制は必ず受け入れられるだろう。
 橋下氏の自信を持って言い切る言葉に逞しさを感じる。よく聞いていると筋は通っているし、間違ってもいない。教育にしても、公務員にしても、国民にしても余りにぬるま湯にどっぷり浸かってしまって甘えてしまっている。要するに権利ばかり主張して守らなければならない義務を怠ってきたのである。

 大阪府で言うならいい例が生活保護受給である。本来生活保護は体が弱くて働けないような人を始めとした貧しい家庭に対して国が助ける制度だった。それでも貰う側には申し訳ない、恥ずかしいという気持ちがあって、中々申請をする人が少なかった。それが今では「貰わないと損だ」みたいな気持ちで、貰う資格のない者まで申請する恥ずかしさ厚かましさに橋下氏は一石を投じているのだ。その義務を遂行できない者しない者は、当然その報いは受けるべきだ、と言っている。
 もう一度昔のように恥ずかしい、申し訳ない、それでも有難い、感謝します、という気持ちを持てる国に戻そうとしているのだ。その通りではないか。一見強烈に見えるが、それは堕落した日本だからであって、本来リーダーはこのくらいの強さを持って当然である。口先だけのパフォーマンスにはもう国民は辟易しているのである。はっきり言って今の国会議員にこれだけのリーダーシップを持ってる者はいない。日本を良くしよう、日本の文化を大切にしよう」という気持ちがしっかりしている。

 君が代斉唱、国旗掲揚の時、起立しない先生は辞めるべきだという考えは至極当然である。国から金を貰って子供に教育する立場の先生が国の象徴である国歌や国旗に敬意の気持ちが持てないというのなら、先生をやる資格はない。本人だって強制されるより辞めた方がすっきりするだろう。
 いくら思想信条の自由があるとは言ったって純粋無垢な子供を指導する教育の場で、あなたのひねくれた思想信条を見せ付けるのは如何なものか。どこの国でも祖国を守る、家族を守る教育というのは基本中の基本である。その基本を忘れてきたから、乗っ取られた竹島に対しても、乗っ取りに来ている尖閣諸島にしても見て見ぬ振りしかできないし、自国民が拉致されているのがわかっていても断固たる対応ができないのだ。

 北朝鮮なんかと付き合う必要はない。北朝鮮に送金しているような輩の財産はすべて没収すればよい。大阪市長選の時も一部週刊誌が重箱の隅を突っつく様な橋下氏のマイナス記事を出していたが、それこそ思想信条の違いから敵対するのは構わないが、やけくそになって出自なんかを攻めるのは卑怯である。政治家になる前や私的には骨太国家論を語る人は多い。しかし大臣や総理になった途端に言動が著しく変わったり寡黙になったりする人が多いが橋下氏の有言実行は素晴らしい。ぜひ中央で政治をやらしてみたい。

▼暴力団排除条例が確実に浸透している。暴排条例の指導を受けてか自ら進んでなのかはわからないが、某ヤクザ賛美雑誌が今号から内容を一新してのスタートになるそうである。
 確かに今までの一部雑誌はヤクザ屋さんを対象に記事を書いてるような印象はあった。ヤクザ屋さんとその周辺者が十万人も居ればその人たちを中心とした本を作ることも社会的意義はあろう。ところがヤクザ屋さんの資金力、組織力、政治力、経済力は縦横無尽に動物力の本能を生かし常に社会の最前線を走る犯罪をも飲み込み肥大化する一方で、一地方の県警レベルでは取り締まれなくなったのである。しかも当局だけでは取り締まれない程複雑化しているため国民の協力なしには壊滅はあり得ないということになったのだろう。

 ヤクザファン雑誌と言えば二年前だったか三年前だったか忘れたが、国士舘OBで活躍してる人を十人ぐらい記事にしたいと言う話を防共挺身隊の前隊長であった故対馬則政君から頼まれたことがあった。実はそれより二年ぐらい前に正気塾の中尾征秀郎代行より国士舘OBのヤクザで活躍してる人を私に取材してくれないかという話があって、初めはそのつもりでいたのだが国士舘大学という名前が出てヤクザの世界で生きてる人を取り上げるということは大学や学生にも影響を与えるのではないか、ということで断った経緯があった。
 対馬君からの依頼は民族派として活躍している人を紹介してくれないかという話だったので引き受けた。先ずは第一人者として活躍中の藤元正義先輩を紹介した。しかし藤元先輩ははっきりと雑誌の担当者に「あなた達は最終的には加藤総長に繋げたいのだろうけど、園士舘の成り立ち、創立者の生き様を描いた延長線上でOBに繋げるのなら任侠界で生きてる人を出す事には賛成できない。また加藤総長は目立つ事が嫌いな人だから頼んでも出ないよ」と釘を刺した。

 中尾さんの時もそうだったが、国士舘の中では何と言っても今一番のスターは加藤英幸氏なのである。東京では人気、実力ともナンバーワンとの声もある。だからどこの雑誌も物語りにしたいと思っている。そこで私の回の時、私の思い出という形で記事にする予定だった。それで藤元先輩からスタートしたのだが、回を重ねるごとに訳の分からない内容になり、いつの問にやら国士舘と関係ない漫画になっていった。
 以来雑誌記事執筆依頼等には不信感が強かったのだが、ヤクザ系記事を少し離れてリニューアルと同時に「世の不条理、不正を敬天流に暴いて欲しい」ということだったので、エールを送る意味でも引き受けるつもりだったが、よくよく考えたら時間的にも余裕がなく結局はお断りした次第である。

 それにしても暴排条例の勢いは凄まじい。県条例が全国を駆け巡ったと思ったら今度は市町村単位での条例も施行され始めた。アメリカ政府の後押しなのか主導なのかは分からぬが、全盛を誇った同和団体が逆差別という言葉と共に、あっという間に力を削がれたあの状況に似ている。しかしヤクザを本当に排除できるのだろうか。九州が試金石である。あれだけ派手に企業を攻め続けて全く犯人が捕まらない。一般人は不安にならないか。

 だが一方で警察がわざと犯人をあげないで世の中の不安を煽り、警察の必要性、OBの就職口の確保という人もいる。実際パチンコをはじめギャンブル場は確実に傘下に治めたし、風俗業界も手中に治めるのは時間の問題だろう。九州で実績を挙げれば建設業の顧問だけでなく、下請け、警備まで頼られることになろう。だから今散々ヤクザを利用して儲けた関係者、周辺者、密接交際者まで当局関係者に乗り換えようとしているのである。そんな時便利な言葉が「過去は問わない」である。実質的な司法取引を意味するこの言葉は現憲法下では違反の筈だ。暴力団だからというのではなく全ての犯罪に厳しく強い当局であって欲しい。

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