社主の独り言(辛口)

(敬天新聞11月号)

▼二歳の赤ちゃんが交通事故に遭って跳ね飛ばされて血だらけで倒れてるのに、何食わぬ顔で通り過ぎていく人々。日本では考えられない光景が現在の中国で現実にあるのだ。動画を見るまでは信じられなかったが本当の話だ。日本では、人権さえ無視され始めた暴力団だって、このような薄情さは持ち合わせていない。死して鞭打つという、敵将だったら死体を掘り起こしてでも鞭で叩き、その恨みを晴らすという習慣、死生観を持つ中国という国の空恐ろしさを感じる。このような国が隣国で、我が国を常に挑発しているのだ。

 しかも厄介なことに、この十年経済的に大発展を遂げた(殆ど日本のODA資金と技術支援)ことで、えらい強気で法螺を吹き捲っている。確かに経済だけで言えば、アメリカに匹敵する程の大国になったと言える。しかしその経済力もまだまだ表面だけで国や国民の全てに浸透はしていない。それ以上に中国という国の民度の低さである。知的所有権の侵害ならまだしも、そっくり真似ておきながら自国の特許として出願するあの厚顔無恥は、こちらの方が恥かしくなる程だ。発展途上国さえ、ここまで品悪くはない。

 新幹線事故が今の中国の実力と実状を物語っていると言えよう。人口が多いから、消費力はあろう。だが国民性が余りに違い過ぎる。その前に情報を公開しない、国民を操作する政府の共産主義について行けない。日本からODA資金の援助があったことさえ国民にちゃんと説明しない。

 恐らく国民に正直に話すと政府として都合が悪いのだろう。それに、あんな小国日本に負ける筈はない、と思っていたのに日清戦争で負けた口惜しさが、我々が思っている以上にトラウマになっているのではないか。日本が太平洋戦争で負けたのは、連合国とはいっても殆どアメリカである。それなのにロシアはドサクサに紛れて北方四島を盗んだし、近隣諸国は戦後賠償、補償を要求し、その延長がODAでもあったのだ。負ければ賊軍なのだ。

 近隣諸国は植民地戦争、侵略戦争と日本を責めるが、日本がアジア地域に攻め入る前まで、日本以外のアジアの国々は全てヨーロッパの国々の植民地ではなかったか。アジアで唯一ヨーロッパ烈強と戦ったのは日本であり、その戦いの結果としてアジア各国が独立できたのも又事実である。あれだけ靖国神社問題に口を出した中国が、最近は昔ほど口煩く言わなくなった。昔は貧乏だったので、恫喝することで少しでも稼ぎたかったが、もうこの手も内外に見透かされているし、余り通用しなくなったことが本人達にも分っている。それにも増して、金持ち喧嘩せずの心と世間(世界)の目を多少は気にするようになったのである。それにしても民度が低い。

 私の知人の女性は可愛がっていた野良猫が交通事故で血だらけになっていたのを抱いて帰り一晩中看病してあげたが、その甲斐もなく亡くなったことにショックを受け心療内科に通っている。動物にさえこれ程の愛情を見せる日本人の優しさと赤ちゃんが目の前に血だらけで倒れているのに知らんぷりして通り過ぎる中国人の冷徹さ、こんな隣国とこれから何千年と付き合いしてゆかねばならないのだ。

 朝鮮国が漢に苛められた恨の五百年の気持ちが分る気がする。二千年前、朝鮮に生まれたら俺もチュモン将軍の下でタムル軍に参加して古朝鮮の土地を取り戻す戦いに出征するよ。あー、神風の吹く島国、日本に生まれてよかった。

▼小沢一郎の「政治とカネ」の裁判が始まった。

 驕り昂ぶった小沢が裁判所や検察を思い切り批判した。小沢が何故、国民から嫌われるかと言うと、時代劇によく出てくるあの悪代官だからである。風体も悪代官そのものであるが、やってることも悪代官である。師匠と仰いだ田中角栄も金丸信も「政治とカネ」に汚れた部分はあったが、愛嬌もあったし温かみもあって、どこか憎めないところがあった。ところが小沢は薄情で冷徹である。それに嘘吐きでもある。

 最初は献金問題有識者会議で説明すると言っていたが説明しない。四億円の説明にも「献金」「相続」「妻からの借入」と二転三転する。ハッキリした原資なら何回質問されても迷わず同じ答えになる筈だ。今頃になって四億の中身について答える必要はないと言っている。政治の場で説明しないのかと問われれば、今司法の場で裁かれているのに何故その必要があるのかという。裁判が始まる前、幾らでも説明する時間はあったではないか。要は説明できない汚れた金なのである。

 小沢は政策は何も持ち合わせていない。選挙に勝つことが唯一、小沢の目指す政治であり、政策は後から付いてくるという考えなのだ。勝てば官軍であり、全ての意見や政策が通るのだ。それ以上に勝つことによって、権力と金が付いて回るのだ。野党であっても権力の中枢に居れば政党交付金を握れるし、与党になればプラス土建業を中心とした企業からの献金がある。小沢の場合は献金というより、賄賂に近かったり、配当金であったり、恫喝金であったりする。地方政治を牛耳って地元公共事業を独占してきたし、中央にあっては土地転がしならぬ「政党転がし」で財産を築いてきた。

 竹下下総理亡き後の軍団の政争で小渕氏に敗れ、羽田孜、渡部恒三等を引き連れ自民党を割って出た。その時、竹下派の金庫に入っていた十三億円を当時の秘書が小沢邸に運んだと証言している。この盗っ人劇には小沢の女房も一枚噛んでいる、とまで証言している。ここまで元秘書に証言されて、この秘書を訴えようとしないのである。小沢はこの一件で味を占めたのではないか。その後も政党を作っては壊しを繰り返すが、その度に政党交付金が消えている。特に政党交付金は税金であるから解散後に残った金は国に返すべきものである。或いは皆で分けるべきものだろう。

 何故、小沢が一人で持ち逃げするのか。だらしないのは他の国会議員である。一人一人は国民から選ばれた地域の代表でありながら、何故その不正に正面から立ち向かおうとしないのか。野中広務は小沢一郎のことを悪魔と呼んだ。こういう全てを知っていたのだろう。だが権力を持ってる議員は似たり寄ったりの構図であって相討ちになる恐れもあるので、皆口をつぐんできたのだろう。それにしても小沢は酷過ぎた。水谷建設の一億円献金の話も国民の全てが小沢は貰ったと思っている。否定するには矛盾が多過ぎるのだ。だから国民は今、小沢が裁かれている記載漏れがあったかなかったか、それが故意だったか(故意に決っている)というような調べより、十三億円を始めとした消えた現金の行方の解明に興味をもっている。もうそろそろ国会議員からも勇気ある発言が出てもいいのではないか。また小沢が壊した政党に所属した議員なら告発する権利もあるだろう。世の中が変ったこと、もう小沢の時代は終ったことを国会議員は気付くべきである。

 確かに小沢型国会議員は地方にもいる。私のふる里長崎でも長い間知事と国会議員が癒着して公共工事を独占してきた。その揚句、互いの娘と息子を結婚させ、やったこともない百姓に身分を偽装し、諫早農業干拓に応募し抜け抜けと当選していたのである。しかし今までなら、この地方の実力者に見て見ぬ振りをせざるを得なかった県会議員達も百条委員会を作り、不正を追及する世の中に変っているのである。小沢も国民から信頼を得ようとするなら、国民が思っている全ての疑問に正々堂々と答えることである。逃げ回るから疑惑は増大するのだ。

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