社主の独り言(甘口)

(敬天新聞9月号)

▼韓流について、今一部で騒がしい。8チャンネル(フジ)が、韓国テレビかと誤認する程、韓国ドラマを垂れ流しているのは如何か、という問題らしい。
 スポンサーの非買運動まで起きているというから尋常ではない。何をそんなに怒っているのだろう。韓国の若手歌手ブームが起ったのは最近かも知れないが、最初の大ブームは何と言ってもヨン様とチェジウ姫だろう。二重アゴ、三段腹、猫背、垂れ尻、ガニ股という五重福を併せ持ったような日本の代表的なおばちゃん達が韓国まで追っ掛けをやって、世界の目を釘付けにしたのもついこないだだった。(あの下品さに比べたら今の方がまだよい)
 あの時も確か、世の男性はヨン様に嫉妬した。かくいう私はヨン様相手じゃ勝ち目はない、とヨン様ファンになった。今売れてる尻振りダンスの女の子達も魅力的である。日本の芸能界に比べれば、格段に待遇面やシステム面では遅れているらしいが、一人一人の芸能的な技術力は格段に韓国が上である。

 日本では只可愛ければそれだけで直ぐ歌手になれるし、ドラマの主役になれるのだ。今まで一度も演技の勉強をしていなくてもだ。中には学歴のない子もいる。見ているこちらが恥かしい。
 だから国内では通用しても、外国に通用するものは少ない。それに比べて韓国タレントは一流大学を卒業し、一流専門学校で学んでいる。基礎から違うのだ。しかも男はどんなに売れても軍隊に行く。立派ではないか。
 翻って日本のテレビ界では、バカみたいなお笑いタレントがギャーギャー騒ぐだけで全く面白くない。若い者の感覚が解らないから、一概にテレビ批評は言えないが、我々年代で見るテレビが殆どないのである。
 この何十年間、ニュース、ドキュメンタリー以外、見たことがない。ところが韓国ドラマの昔物は面白い。私が好きなのは、「朱蒙」と「イ・サン」だ。「朱蒙」は韓国の戦国ドラマであるが、漢に苛められた小国民を束ねて、痛快に戦った弓の名手であるヘモスの子である朱蒙が王子の身分を捨てて、親と同じ運命を辿り、侵略された土地を奪い返してゆく物語である。どこの国にも一人や二人は必ずいる(創作も含めて)英雄物語であるが、敵を漢(中国)としているところに、より痛快さが出るのである。
 もし日本が今、中国を悪者としてドラマを作ったらどうなるだろう。中国から何千億も要求されるような批判、攻撃を受けるのである。それを恐れて日本では、こういう大作を作れないのである。ところが中国は相手が韓国なら、左程の抗議はしない。一番大きな理由は大して金が取れない。二つ目は日本ほど過剰反応しない。三つ目は国民の愛国意識が強いので反発してくる等が考えられる。
 また韓国芸能はスポーツ同様、国を挙げて力を入れているが、日本はギャラの割りに質が低すぎる(テレビに出れる芸能人で比較)。今たまたま韓流だけど、いつブームは去るか分らない。

 流行り、廃りはいつの時代でもあるし、それが韓国だって、中国だっていいじゃないか。流行りで魂まで奪われてしまうような教育こそ問題である。もし韓国で日本ブームが起きたら古い世代の愛国者が騒ぐだろうが、若者はそれなりに受け止めるだろう。
 だが竹島問題を始めとした国の威信を賭けた話となると全く違ってくる。それが今の日本にはないのである。
 同和に逆差別という言葉が生まれる程、驕り高ぶった時があって、世間から総スカンを食って勢力が無くなったように、日本人は普段は動かないが、いざとなったら一致団結した動きをする。韓流ブームは能力ある者が日本に出稼ぎに来てるだけである。日本も昔は稼ぎ過ぎてエコノミックアニマルと批判された時もあった。韓流ドラマを見て、親子の関係を学んだり、敵と戦う心を学ぶべきだ。それと政治の現実を見極める、国益に反するものにノーと言える勇気を養うことこそ必要なのである。
 他の国では、外国と戦った英雄伝を自信満々に放映し語り継いでいるのに、我が国では、総理自ら「日本は侵略戦争の悲惨な教訓を語り継ぐべき」だと。この差なんだよ。

▼ふる里はいい。ふる里に帰ると、都会の喧騒が嘘みたいで一時、非現実的になって癒やされる。ふる里は自分を見つめ直す切っ掛けになったり、反省したり、身の丈を知ったりするいい機会であるし、帰るだけでそれだけの価値がある。
 普段忘れている両親への感謝や恩師への恩も思い出させてくれる。そういう思いもあって、私は必ずお盆に先祖供養の墓参りに帰省するようにしているのであるが、便乗値上げのような盆正月の交通費を何とかならないものだろうか。
 盆正月が帰省ラッシュになるのは国民のふる里を大切にしよう、両親、祖先への感謝の現れであるわけだから、国は奨励すべきことである。奨励するということは、こういうものにこそ補助金を出せばいいではないか。
 本当は盆正月に運賃を安くすると、もっと帰省は多くなるだろう。そしてふる里は活気が出て潤うのである。混むのは構わない。一年に一回や二回だから我慢も出来る。だが運賃が通常の二倍になったら、時期をずらそう、今年は止めよう、になるのである。

 結果、帰省が遠のき、先祖の墓参りという人間として大切な過去からの繋がりを忘れてしまうのである。そうでなくても戦後アメリカ主義の個の権利が強くなり過ぎて「今あるのは自分の力」と勘違いする者が増えて行くのである。日本という国も縄文、弥生〜奈良〜鎌倉〜、江戸、明治〜、と続いて今の日本なのに、戦後の日本だけが妙に批判され、反省しなければならない日本となり、今の総理達が安っぽく謝り続けている。
 高校時代の恩師と一杯飲んだ。昔は帰省中、一晩泊めて頂き酒食を頂くのが習慣だった。古典の先生だから、文法や文字の間違いに厳しく、私が書くこの記事についても、間違いがあれば必ず指摘がある。
 単に誤字、誤植の場合もあるが、中にはずっと勘違いしたまま使っていた言葉や意味の解釈もある。「情けは人の為ならず」は、ずっと情をかけることはその人の為にならないこと、だと思っていたし、「袖振り合うも多生の縁」の多生(他生とも書く)をずっと多少だと思い込んでいた。
 先生は若い宮司さんに神道の意義、歴史、伝統を指導、講義される方だから、日本主義に対しては時に私より厳しい意見も多く、加えて歯に衣着せぬ物言いで白黒をハッキリ言う人である。
 そんな先生が、高校時代の日誌を大切に保存されていた。四十二年前の日誌を読んでみると、夢や希望が伝わってくる。以来、一度も会ってない人が半数近くもいる。その日誌にあるようにみんなは夢や希望通りに人生を歩んだのだろうか。

 先生を訪ねてくる人や同窓会に顔を出せる人は、比較的、心身、経済的に豊かな人が多いだろう。先生も五十年(本当は四十年だが請われて十年延長されたそうだ)の教員生活で一万人の教え子がいるそうであるが、やはり思い出に残る生徒、残らない生徒はいるそうである。
 たまたま我々の受け持ちの時、一人の女性が焼身自殺をする悲劇があって、それが忘れられないクラスの一つになったようだ。私が今日、書き屋の端くれのような真似ごとを二十年も続けて来れたのも先生の教えと影響が少なくないのである。
 今、私はふる里の原城の麓にある「真砂」という温泉に泊まり、有明海の潮騒を聴きながらこの文章を書いている。
 左前方から雲仙普賢岳に連なる稜線が緩やかに有明海まで突き出ていて右前方には談合島が浮かび、その周辺を船が行き来している。ここから見える有明海は湖のように穏やかである。ここで書き物をしていると些かな作家気分なのである。

▼今日は送り盆であるが、朝から大雨である。十五日の送り盆が雨だったという記憶は殆どない。墓に提灯を灯さなければならないが、これでは提灯の火が消えるどころか、提灯そのものが破けてしまうだろう。
 ナイロンを被せれば酸素がなくなってしまう。どういう風にして乗り切るのか、ふる里の人達のお知恵拝借を見学してみたい。それから更に困るのは、初盆の家で送る精霊船流しだ。この雨の中でも引っ張って回るのだろうか。引き手は気合いさえ入っていれば土砂降りの雨でも物ともしないだろうが、船そのものの飾りは兎も角、やはり提灯である。名物の爆竹も花火も雨で湿気て火が点かないだろう。
 せっかくこの日の為に、亡くなった人を迎え送り慰める為に準備してきた精霊船である。華やかに晴れやかに送り出したい伝統行事である。

 東京からの連絡では、終戦記念日の今日、靖国神社は満杯の人集りだったらしい。その光景を見て、日本はまだまだ大丈夫という思いがしたそうだ。また地方では、それぞれに思い出の伝統行事が受け継がれていることだろう。
 我がふる里の夏は精霊船である。長崎市内程、華やかさも豪華さもないが、雨にも負けない心意気だけは磐石なのである。午後の三時の時点で稲妻、雷が鳴り響き、雨は止みそうにない。だが私は日本の底力の原点であると信じて疑わない神風に期待しているのである。ほんの一時雨が止んでくれればいい。それだけで日本の伝統が守られる。だが心の中では土砂降りの運行を想像し、それも止むなしの強行突破を考えていた。先ずは墓参りである。降ったり止んだりだった。それでも墓参り客はいた。

 提灯は雨に濡れて形を変形させていた。ところが私が墓に着いてから神風が吹いたのである。二日前から降り続いていた雨がピタリと止んだ。雨の中でも墓参りだけはという人もいるにはいたが、提灯が灯っているところは少なかった。
 雨が止むと同時に墓所の参拝客が一杯になった。今年も無事に先祖を迎え、送り出すことができた。初盆の精霊船も年々賑わいは減っているものの、町の皆さんの先祖供養に対する強い思いで、今年も無事に終ったのである。
 あと一〇〇年も二〇〇年も続いて欲しい、夏の伝統行事である。やはり日本は神風が吹く国なのである。

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