社主の独り言(辛甘口)

(敬天新聞8月号)

▼過去にこれだけ総理大臣の品位を貶めた総理が居ただろうか。確かに女性問題で辞めた総理や三ヶ月しか持たなかった総理もいた。だがその人達は国民からの批判に応え、総理の座を降りたのだ。いわば政治家としての責任を取っているのだ。それに比べて、この菅の醜さは何なんだ。

 これだけ国民から批判され、与党議員からまで辞めろコールが起っても辞めない。総理でありながら、個人的な意見ばかり述べる。それも一貫性がない。嘘吐きの総元締めのような鳩山にまでペテン師呼ばわりされる始末。とにかく軽すぎる。

 謝罪することで人気を上げようとする。恐らく厚生大臣だった時、薬害エイズ患者に謝罪した時、「日本の大臣として始めて薬害患者に非を認めた」という新聞記事の心地好さが忘れられないのだろう。担当大臣に任せればいいような会見でも、本人が出て行って会見したり、謝罪したりする。

 総理の謝罪は一般人の謝罪とは訳が違う。重みが違うのだ。その裏には常に責任や補償が付いて回る。税金の歳出が付いて回るのだ。菅の馬鹿が払うのではない。国民から集めた税金が払われるのだ。菅の腹が痛む訳ではない。だから過去の総理大臣も担当大臣も個人的には理解しても私を殺し、公的な立場から嫌われる返答をしてきたのだ。菅のように軽く、何でもホイホイ歳出したら、国は早番崩壊してしまう。

 菅夫婦は本当に日本人だろうか。少なくとも日本人の感覚は持ち得ていない。日本人なら、これだけ嫌われたら、潔く辞める。恥という文化を持っているからだ。民主党には人材がいない。その証拠に四〇〇人も国会議員がいながら、有能と思われている者が何役も熟している。刑事被告人の守銭奴小沢が動けないのは分るが、今では担いだ筈の仙谷や枝野、岡田まで翻弄されている。

 鳩山など超バカにされていて、何をバラしたところで後の祭りと意に介されていない。終った男が目立ちたがりたい一心で出しゃばって行くから恥をかくのだ。民主党のようなただ政権を取りたいというだけで、理念も主張も違う、理想論だけで現実を見ない輩の集まりでは、いざ政権を取ったら何にも出来ないことがよく分った。暴走した総理を辞めさせることも出来ないのだから、情けない奴等だ。聞き上手の鹿野道彦だって、一人堂々と気を吐いてる西岡武夫だっているじゃないか。少なくとも菅よりは誠実である。

 大震災が起らなければ、在日韓国、朝鮮人から献金を受けた問題で間違いなくアウトだった。記事にされた夜、献金者に電話を入れ、「在日だということを知らなかったことにしてくれ」と頼むような姑息な手段を執る男なのだ、菅は。次の日に大震災が起って辞任問題が吹っ飛んだ。今、菅が考えてるのは、広島、長崎の原爆記念日に、世界に向けて「反原発、脱原発を高らかに宣言する日本で始めての総理」という演出ではないか。

 この男は足の先から頭の天辺まで自分のことしか考えていないのだ。民主党が苦労して政権を取ったことも自分が辞めないことで民主党が壊滅の危機に瀕してることも全く考えない男なのだ。勿論、国や国民のことなど全く考えてはいない。万死に値する男なのだ。

▼昔の教育と今の教育の違いを一言でいうなら、字の上手さだろう。昔の人は皆、字が上手い。誰でも字の練習をしたし、書道にも力を入れた。もっというなら、暗算を含めた計算も確実に早く出来る。しかも礼儀正しく、常識もあった。国は貧しく、家の手伝いを強制され、自分の時間は殆どなかった筈なのにだ。それに比べ、現代の子供は自由、チヤホヤされ、親からも先生からも怒られない。

 子供の能力に合わせて勉強しやすい環境も理想に見える。一〇〇%、義務教育である。しかし、字は下手糞だし、漢字もよく知らない。九九が出来ない子もいる。こうなると、教育とは何だろう、ということになる。そんな甘やかされたゆとり教育を受けた世代がもう親になっている。義務を遂行しないで権利ばかり主張する世代だ。学校ではモンスターペアレンツと言うらしい。自分の子供が先生に叱られたり、注意されたりしたら、直ぐ苦情を言ったり、文句言ったりするらしい。

 叱られるということは、子供が悪いことをしたから。注意されるということは、子供が義務を怠ったから(大抵の場合)。それなのに、子供の嘘を鵜呑みにして、このバカ親が。その癖、子供の給食費を払わない親が多いという。昔のように貧しくて払えないのではなく、払える力があるのに、払わないという。子供が可愛いと言うのなら、子供に恥をかかせるな。昔は給食費や授業料を支払日迄に払えない者は、授業が始まる前、名前を呼ばれていた。子供心に恥かしかったけど、それでも親が苦労しているのを知っているから、気丈にも「すいません、忘れました」とか言って二、三日は凌いだが、何日も遅れると、壁に張り出されたりして、恥かしい思いをしたものである。そういう子供達に悲しい思いをさせてはいけない、と学校側が発表しなくなったら、親側がそれを逆手に取って払わないというのだから恐れ入る。

 何人産んでも自分の手で育ててきた昔の親。今は一人しか産まなくても国から補助が出るのが当たり前という考え。動物はずっと昔から現在に至るまで、子は親が自分で育てる。生活保護も貧しい家庭の為に考えられた制度。昔はその町にせいぜい何軒かしかいなかった。生活保護を受けることは恥かしいことだという誇りがあった。

(これは差別で言っているのではない。働き口がない場合は仕方がないし、弱者、貧者を保護するのは国の務めであることは確かである)

 だから生活がギリギリの人でも、生活保護を受けずに頑張り子供を育てたのである。そういう苦労を知っている子供こそ、大成している人も多い。だが現在は、嘘の申請までして、生活保護を貰ってる者が多くいるというから恥かしい限りだ。単に制度として貰える物なら何でも貰えということか。日本人としての誇りや名誉は何処へ行ったのだ。

 あの慎ましさや思いやりは、いつ頃から無くなったんだ。昔が全ていいとは思わない。だが連綿と続く文化や風習、歴史の中に、その国の良さが凝縮されているのは間違いない。だから私は昔のよさを保ち続ける故郷に帰り、現実を見つめ直すのである。

▼いやー、なでしこジャパンには感動した。アメリカの猛攻に耐えに耐え、先取点を取られたら取り返し、また取られても取り返す。まるで東京オリンピックの東洋の魔女の再現のようだった。いや東洋の魔女は最初から圧勝していたから、むしろプロレスの力道山を思い出した。力道山は最初、外人の大男にこれでもか、これでもかとやられる。そして、堪忍袋の緒が切れて、伝家の宝刀の空手チョップで相手を叩きのめすのだ。そのストーリーが分っていても、国民は喜んだ。

 プロレスには相手との段取り、ストーリーがあるが、サッカーのワールドカップは真に真剣勝負である。勝敗はラストのラストまで分らない。最初は圧倒的にアメリカが有利だった。体格、力、技術、全てにアメリカが強く見えた。特にシュート力というか、蹴る玉のスピードが違う。ところがハラハラはするが、負ける気がしないのが不思議だった。先取点を取られた時も、この実力なら一点差負け位では勝ったようなものだ、と耐え凌ぐ大和ナデシコに拍手しながら見ていた。

 ところが何と直ぐ取り返した。信じられない。後半は押し気味に転じていた。延長戦になって、また先取点を取られた。普通なら、世界チャンピオンに先取点を取られたら、気持ちが臆してしまう。しかも過去二十四回戦って一度も勝ったことのない相手である。ところが残り三分で平然と取り返したのである。平然とと書いたのは、まぐれとか相手のミスとかではなく、堂々と自分達の技術で取り返したからである。

 スタミナとチームワーク力というのは全ての団体競技においては日本のお家芸の一つであるから、余り驚かないが、彼女達の精神力の強さに圧倒されたのである。沢選手の同点シュートはどうやって入ったのか全く分らない。日本のテレビカメラなら反対側からも撮っているからゴールシーンが良く分るが、テレビ力の違いなのか、何回見ても沢選手の後姿からしか見えない。

 しかし沢選手というのは素晴しい。オフェンスでもディフェンスでも常に中心にいて、玉が飛んでいく方向が見えているように、そこにいる。あれだけ皆が伸び伸び戦えたのは、主将としての沢選手を余程、信頼していたのだろう。そんな中での得点王とMVPである。

 こういう才能、技量、度量、リーダーシップを持った沢選手こそ、今の日本に最も欲しい人材である。因みになんと、決勝で同点ゴール、延長で同点ゴールをアシストした宮間選手のお父さんは大学の二つ後輩だった。ビックリである。宮間君、おめでとう。なでしこジャパンありがとう。

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