(敬天新聞4月号)
巷に溢れる事件報道は、次々に発生する新たな事件報道によって隅へと追いやられ、数日と経たぬうちに世間の関心は薄らいでいく。これは耳目を集める大事件にせよ、薄らぐまでの期間が多少延びる程度で、結局は同じことである。
しかし、世間の関心度合いをよそに、事件に捉われ引き摺られる当事者にとっては、けして昔話として片付くものではなく、皆が知らないところで新たな展開が繰り広げられている場合も多い。
平成十五年暮れ、北海道警察旭川中央署の不正経理が発覚し、瞬く間に道内の各警察署でも同様の不正が判明し、後に全国の警察組織の腐敗追及へと発展していった。
所謂『北海道警裏金事件』であるが、これを執拗までに追求していたのが、北海道内での朝刊発行部数で凡そ七十%のシェアを誇る、地元有力紙「北海道新聞」(札幌市中央区)であった。
同社の菊池育夫代表は、地元が発火点となった全国規模の事件を前に「是が非でも新聞協会賞を狙え!」と、取材班を鼓舞したという。実際、事件に関する報道記事は千本以上にのぼり、その執念たるは凄まじいものだった。結果、翌十六年になると複数の道警元幹部から裏金の存在を認める告発が相次ぎ、同年八月には裏金事件の聴取対象であった道警興部警察署長が、裏金を認める遺書を残し自殺するといった痛ましい結果を招き、北海道警は同年暮れになって裏金を認めるとともに三千人以上の処分者を発表し、事件は決着をみた。又、菊池育夫は狙い通りに新聞協会賞を受賞し、全国に地方紙の誇りと面目を示しつつ、地元での更なる影響力を強めるに至った。
大方の人が記憶する北海道警裏金事件の内容は、此処までではないかと思われる。しかし、その後に本事件は意外な方向へと向かい、今現在も多くの関係者を巻き込んだまま泥沼化の様相を深め継続しているのである。
(自分の部下に全責任を背負わせ、敵への謝意のつもりで閑職に追いやり、裁判費用まで自腹を切らす冷酷の見本、菊池育夫代表)
切っ掛けは、本事件追求の立役者、北海道新聞の不正疑惑の発覚と、保身に走った菊池育夫の背信行為によるものである。北海道警を徹底追求していた頃、北海道新聞室蘭支社の幹部社員による一億円以上の横領が発覚し、その一部が暴力団構成員に渡っていた事が判明した。
逮捕された後、この幹部社員には実刑判決が下った。更に、東京支社でも広告部長の営業活動費着服が明るみとなるが、何故か告発することなく、割増された退職金二千五百万円を横領犯に与え、依願退職として内々で処理するといった、何やらきな臭い決着を図ってもいた。
室蘭支社での一件では、北海道警は菊池育夫から事情聴取を行い、東京支社の件では退職金を支給したことが特別背任罪に抵触すると見て、北海道警が菊池育夫を捜査対象にしているとの噂が沸き立った。周辺関係者は皆一様に、北海道警が意趣返し的に反攻に転じ、北海道新聞と菊池育夫の首を狙ってきていると確信していたようだ。
その根拠の一つが、件の東京支社での着服が発覚する数ヶ月前、北海道警と函館税関が覚せい剤の「泳がせ捜査」に失敗し、水際で検挙するどころか取り逃がすという失態を犯し、大量の覚せい剤を道内に流入させたという、大スクープを紙面にぶち上げた件だ。北海道警は裏金事件でやり込められた恨みが消えぬ時に、捜査の失態を大々的に報じられ、怒りが沸点に達したと思われる。
悶々とするなか、東京支社での横領と不明瞭な退職金支給のネタを掴んだのだから、北海道警にとっては千載一遇の機会と捉え、菊池育夫の首を全力で取りに動いたというのも頷ける。本来ならば、身内の恥べき不祥事と自身に及ぶ経営責任は、北海道新聞としての報道姿勢とは別物であって、この場合も毅然と新聞屋の誇りを貫くべきであったのだが、菊池育夫は我が身可愛さの余り、あっさりと白旗をあげてしまったのである。
先ずは、泳がせ捜査失敗のスクープ記事について、確証に乏しい憶測があったことを認め、紙面に「お詫び」の記事を掲載した。ただし、記事の訂正までも認めると、新聞販売に影響が出ると考えたのか、報じた内容の真偽を有耶無耶にし、飽くまでも憶測があった事を詫びるだけに止め、訂正を拒んだのであった。
しかし、これだけでは北海道警の怒りを鎮められないと判断するや、裏金事件の取材に携わった主だった記者を、降格・左遷並みに飛ばしたのである。菊池育夫にすれば、北海道警にとって自身と同様に怒りの矛先である、北海道警裏金事件取材班を解体処分することで、身の安全を願ったに等しい。
この卑しくも浅ましい自己保身の犠牲となった者のなかには、取材班を率いた編集局報道本部の高田昌幸次長(ロンドン支局に飛ばされた後、東京編集局国際部に転属←名称は聞こえが良いが閉職との話)や、北海道警キャップとして取材現場の中心にいた佐藤一(東京支社に飛ばされ、現在は本社整理部←完全な閉職)が、当然のように含まれていた。
北海道新聞の取材力と権力に屈しない報道姿勢を全国に知らしめ、新聞協会賞受賞の功労者である両名を含めた取材班記者が、余りにも哀れに思えて仕方がない。何れにせよ、功労者の優秀な部下を人身御供的に北海道警に差し出した菊池育夫は、願い叶って北海道警の追求から逃れたことだけは確かである。
多分、逮捕するしない、手を引く引かない、条件を飲む飲まない等の裏取引を、丁々発止行なったのであろう。だが、双方に犠牲を強いた上で裏側で密かに動いていた謀は、思わぬ場面で表沙汰となる。
北海道警の北海道新聞に対する恨み辛みは道警幹部が退職後に起した訴訟として別個に進行していたのである。その公判で証拠提出された内容の中に、北海道警や菊池育夫の意図に反した暴露話が含まれていたという。
訴訟を提起したのは北海道警の佐々木友善元道警総務部長であり、被告は北海道新聞社と高田昌幸・佐藤一の両記者、両記者が参画した裏金事件を扱った書籍の出版元である講談社(追求・北海道警『裏金』疑惑)と旬報社(警察幹部を逮捕せよ)である。
訴訟内容は書籍で名誉を傷つけられたとし、被告等に慰謝料などを求めたものである。北海道警の立場からすれば、原告が個人的に起した訴訟とはいえ無視する訳にはいかず、顧問弁護士を手配するなどして側面支援をしているが、事件を蒸し返すことで不利な新事実が出やしないかと、痛し痒しの思いであろう。
菊池育夫もまた、あからさまに事件報道の正当性を主張すれば、苦心して確保した身の安全が反故にされかねないと恐れたに違いない。だからなのか、本来ならば「北海道新聞取材班」として書籍発行にかかわった両記者と共に、訴訟を戦うべきの北海道新聞なのだが、自社顧問弁護士には両名の弁護をさせないという荒業を用いたのである。
何かあれば両記者に責任を被せようと一計を案じ、距離をおいたとしか考えられないが、社員である両記者は自己負担で弁護士を用意せざるを得なかったのである。結局、菊池育夫の号令のもと裏金事件を追及し、十分な成果を出したにも拘らず、又しても理不尽な犠牲を強いられたとしかいえない。
同訴訟は昨年四月、北海道新聞と記者二人の連帯責任を認め、慰謝料の支払いを命じる判決が下された。ただし、原告被告双方が控訴したことで、現在は札幌高裁に審議の場を移し継続中である。
斯様に、事件のその後に注目すると、報道されていた当時の内容からは、想像だにしなかった真実が見えてくることもある。本紙としても、『北海道警裏金事件のその後』から目を離すことなく、真実を追求していくつもりだ。