2010/02/16
齢六十五にして、北海道新聞社(札幌市中央区)の菊池育夫代表取締役は、益々意気軒昂である。その存在感は、マスコミ界のドンと称される読売の妖怪こと渡邉恒夫の域には達しないものの、北海道内に限っては絶大な存在感を誇示している。
実際、読売・毎日、ついでに朝日を加えた全国三大紙が束になっても、北海道内の新聞購読数では、北海道新聞には太刀打ちできない。たかが地方のブロック紙に過ぎないと言えばそれまでだが、逆に地域を牛耳り君臨することで、限定された地域での言論誘導さえ可能となる危惧がある。
少なくとも、権力の座にしがみ付く姿が、既に滑稽でしかないナベツネを、菊地育夫が目指しているとしたら、北海道新聞社社員はもとより、そんな新聞を郷土愛から支えている北海道民にとっても不幸な話である。
北海道の片田舎から横浜国立大学に進学し、卒業後は迷わず北海道新聞社に入社した菊池育夫。その後は着々と出世の階段を昇り、平成13年には北見支社長、その2年後には取締役編集局長となった。サラリーマンとして、役員就任はある意味第二のスタートである。
常務から専務、そして社長へと突き進むか、或いは社内競争で敗れ会社を去るか、サラリーマンから財界人に立場を変えての、熾烈な生き残り競争が待っているのだ。しかし、菊池育夫に用意されていた出世街道は意外なものであった。
北見支社長から役員になって僅か4ヵ月後、並み居る上級役員を全て飛び越え、いきなり社長に就任したのである。当時の社内は、この仰天人事に大騒ぎだったという。また、大抜擢に見合う材料が特別あった訳でもなく、先を越された役員等は「何故なんだ」と、怒り心頭であったらしい。
社長就任当初は、先輩役員に気を使い何事にも控えめにしていた菊池育夫も、一人二人と古参役員が退任していくと、徐々に権力を振りかざし始め、いつの間にやら独裁者としての本性を晒し始めたという。ある日突然、財界に飛び込んだ若造も、社長就任から丸7年過ぎた今、北海道新聞社の役員では菊池育夫が最年長となり、誰一人として口答えが出来ない存在となった。
唯一、土地柄として労働組合組織が強いことから、菊池育夫の長期体制を好まないとした一応の対抗姿勢を示しているようだが、北海道を取巻く経済不況は中央のそれとは比較に為らないほど悲惨な状況もあり、我が身大事とばかりに組合運動は消極的なのが現状のようだ。
役員にも組合にさえも独裁者の首に鈴をつけようとする者がいないなか、菊池育夫は更なる野望を胸に秘めているという。 次回につづく