(敬天新聞9月号)
▼ふる里の ああ
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▼私は動物の本能に一番近い生き方をするヤクザは基本的に好きである。国を守る自衛隊も国民を犯罪から守る警察官も好きである。子供の教育を受け持つ先生も体を治療してくれる医者も農業者も漁業者も、それらを売ってくれる商者もみんな好きである。日本人は職業を一つに決めて区切りたい人種だが、人の繋がりから割り切れない職業もある。
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▼これが世に出る頃は、民主党が初の政権を取っているだろう。大勝したから政策の全てに国民が納得したと言うのではない。選挙は一種祭りのような所があって突然吹く風や雰囲気に呑まれる事も多々ある。四年前の総選挙では小泉さんの単純明快なワンフレーズマジックで猫や杓子まで議員になった。こうして見ていると村会議員レベルでは人物で選び、その人の手腕に期待出来そうだが、国会レベルになると党が主体となる為、人物は全く役に立たないのではないか。 将来の不安定要素を煽り、「生活第一」と言えば聴こえはいい。だが発展途上国ならまだしも日本は世界第二位の経済大国である。やる気さえあれば食うには事欠かない。飢えを経験した年配者は耐える事を知っている。問題なのは若者だ。甘やかして、煽てられて、怒られた事のない若者が増えている。その若者達に働く尊さを教える事が大事なのではないか。人を騙す事の恥ずかしさを説く事ではないか。 マスコミは日本が近隣アジアから嫌われ、批判されたような記事ばかりを載せてきたが、現実には日本の政策も日本人も成功した見本として大いに参考にされている。色んな調査で第一位となっている。民主党の大勝はアンチ自民党の離反に過ぎない。自分達の行為が国民目線と大幅に掛け離れている事に全く気付かない程、驕り昂ぶってしまった自民党が嫌になっただけなのである。この兆候は二十年位前から見え隠れはしていたのだが、その度に優秀な演出家が居て、乗り越えて来たのである。 というより、理想主義矛盾党の村山富市氏に一度やらせて見たら、ただ謝って回るだけで、何も出来なかった。それどころか自分達の党是まで百八十度変えてしまって国民は呆れたのである。 昔、野球で江川事件というのがあった。驕り昂ぶった読売巨人が野球規約の間隙を縫って、怪物江川を強引に入団させた事件だ。当時は野球ファンの半分以上は巨人である。巨人の対戦カード以外は放映がなかった。私も巨人以外で知ってる選手は二、三人しかいなかった。その大巨人に国民から大ブーイングが起こり、事の重大さに巨人は直ぐ白紙に戻した。この時多くの巨人ファンが離れた。私もこれが元でアンチ巨人となり、やがて野球そのものに魅力を感じなくなった。 野球はスポーツだからいいが、政治を嫌いになる訳には行かない。政治こそ生活だからだ。「生活が一番」と言う言葉は民主党の専売特許ではなく、全政党に直結した言葉である。今後、自民党から経済犯罪者がボロボロ出るだろう。今まで政権与党として一緒に政治を司って来た官僚の一部であった検察としては自民党の犯罪は暴き辛かったろう。民主党になれば押せ押せである。 国家の大計は必要である。その為の国策捜査ならやってもやらなくてもいい。世界では国力があっての発言力であり、意見も通る。貧乏人が麦飯を食わねばならないのは世の常である。国民に麦飯を食わせたくなかったら、国としての発言力を持つしかないのである。哀れむ心も譲る心も強さを持った後に持つ心で、最初からそればかりではひもじさから脱却できない。 衣食足りて礼節を知る、である。因みに現状の日本は衣食余って礼節を知らず、であるが。今の日本、国家に必要な物は国力であり、今の日本、国民に必要な物は礼節だろう。枯れ木も山の賑わいをと言い、この世に無駄な物は何もないそうで、人は生きてる事でそれぞれに何か役に立っていると言うから、当紙も当局認定の「政治ゴロ」力を生かしてしっかり民主党政権を監視する事にしよう。 |
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